HDRiな生活

HDR(ハイダイナミックレンジ)写真の連載。ストックフォトでカメラ機材代の捻出を目論む。


HDRiな生活 - 2015年01月アーカイブ

女性のモデルさん募集します

彼は部屋に入った。床に10輪ほどガーベラが転がっていた。ピンク、ピンク、オレンジ、黄色、山吹色。ヒンズー色の強いバリの道端のようだ。 「毎日たいへんだね。」 「そうでもないわ。あなたの髭剃りのほうが大変そうよ。」 ぱちん、ぱちん、と赤ん坊の手をつまむように、茎をハサミで切りながら素っ気なく応えた。床にはたはたポタポタと茎が落ちる。その振動で花びらもひたりと落ちる。 口に咥えたり、髪に挿したり。鞄にぎゅうぎゅうにつめこむ。そのままゴミ箱に捨てたり、飲み込んでしまう日もあるようだ。 窓からは大型ビジョンに映った広告映像が見える。永平寺の渡り廊下に敷き詰められたカラフルな花の上を女優が裸足で踏み歩いている。 「ねえ」 「なんだろう?」 「当たり前が当たり前じゃない世界ってどんなかしらね?」 道具ひとつ必要としないバナナ。心のバナナ。あいつのあの子のバナナ。山のように積まれたむき出しバナナの上を裸足で歩いた方が楽しいよね。彼はそう答えようとして顔と視線を床に落とした。 バリの小道が甘い匂いを放っている。 のような世界観を写真に収める所存です。20〜30歳の女性を募集してます。東京近郊、又は静岡県東部にお住まいの方、お気軽に連絡ください。xjrshimada[cyclone]gmail.com

ISIS 騒動に先駆ける成毛眞氏のコラムが秀逸すぎて

思想はアートの前では脆いものだ。もしかすると、対立する党派に対して最も有効な戦略は、相手側をポップアート化することなのかもしれない。イスラム教徒が神の偶像化を嫌うのもそのあたりにあるのだろうか。 クーリエ・ジャポン 124号に掲載されている成毛眞氏のコラムより抜粋。タイトルは『もしも革命家がブサイクだったら』。レーニンやスターリンと思想を同じとするチェ・ゲバラが、アイコンとなり、革命がアートとファッションに転化した、というくだりなのだけど。下書き書いたのいつなんだろう。普段どういうインプットを心がければこういった考えに至るのだろう。 今回の騒動をもんやりと吟味させてくれる考え方だなぁとしみじみ。戦争を経験していなかったり、若かったり、思想の極傾もあるのだろうけど、世に流通する情報としてアウトプットされ定着してしまったからには、それは日本人OS が出した答えなんだろな。

廃 ☆ LOVE ☆ HOTELS@大仁

テーマパークとして入場料とってオープンすればいいのに。

人の肛門様

デオキシリボ核酸、ちょっとこらしめてあげなさい! 寝ます。

搭載してほしいカメラの機能

各メーカー、技術が飽和していてどこも代わり映えのない写真に見えます昨今。特に Lightroom を始めとする現像ソフトの介入により、企業のカラーがほぼ見えません。 んで、こないだふと思ったんですけど、その場、その時しか撮れない写真、例えば、周囲の環境の音をフィルタのパラメータにしてフィルタリングする機能は出来ないのかなぁと。 雑踏の足音、風の通る鳴り、雑談の集合、渋滞のクラクション、雨音。それらを勝手に判断して自動で適当にフィルタしてくれる機能搭載してたら面白いなと思います。

2014年12月ストックフォトの売り上げ報告

2014年12月のストックフォト収入合計は $309。内訳は gettyimages:$190、 fotolia:$60、iStockphoto:$2、PIXTA:$56、Dreamstime:$1。 getty がヘタれると物足りませぬ。

人との縄張り争いというか土俵際というか思うところ 2015

よく噛み合わない議論になったり分かりあえないことになったりするのだけど、まぁそれは人それぞれ価値観があって当たり前だし、賛同を得られることばかりではないのが人間であって、人を自分の価値観の土俵に上げるのは無益だと分かってきたお年頃ではあるのですが。 基本的に、私が是とすることは、多くの人と共有できればそれはより良い世の中になっていくだろうとの信念に基づいているのです。簡潔なところでは、「すべてのことは難解であり、シンプルに表現されている事柄は、お金が絡んでいる / 騙そうとしているだけである」ということ。大きくテレビニュースで取り上げられること、クリック操作のみで行き着くネット情報、それらは恣意的な編集が絡んでいるのであって、真実にはほど遠いものである、という認識。むしろその考えがフィルターとして実装されている人とはそもそもの性質として摩擦がほぼ生じない。 例えば、和差積商のレベルで数学が止まっている人に微積分を応用する機器やテクノロジーの話題は通用しない。前提としてその議論は成り立たないので、本来そこで話し合いは他のステージに移すべき。でも、その数学知識を有していない側が、欠如そのものに理解を示さずに必要条件をすっ飛ばしてあろうことか己を表現しようとする人がいる。しかも結構たくさん。 「素人の方が柔軟な考えを持ち合わせている」「一瞬の思いつきアイデアが大きなインパクトを持っている」と勘違いしてる人、とても多いですがそれはバカを自己満足させるために世に出回っている情報なんですよね。そりゃたまに袋小路になっている時に一石を投じるヒントを貰った覚えは幾度となくあるけれど、それは全体を解決するほんの一厘ほどの情報であって、99% の脳筋ぐりぐり一番大切なところは自前で稼働させてるんですよ。いや本当に感謝はしますけれど。 ネットもいつの間にか大衆娯楽が氾濫してきて、キーボードを打つ動作が必要なくなってきてますが、そこは本当に面白いのか?右手ひとつでたどり着く情報ってどですかでん?のような懐疑心を持ってると、より楽しい世の中が見え始めると思うんですよね。 とはいえ、話し合いの中にストレスが生じないと人間関係は面白くなく関係も続かない、というちゃぶ台返し的な事実もあるのですが。 今年もよろしくお付き合いお願いいたします。

2015年02月 |  2014年12月